統合失調症なう

世の中から統合失調症への偏見をなくそう!

パニック障害

 現在、私のかかっている医師によると、「パニック障害と、過換気症候群は臨床的には同じ意味で使う言葉」なのだそうです。私は高校生の頃、帰りの電車内で発症しました。手足がしびれ、呼吸が乱れ、頭の中は混乱し、、、体験した人にはわかってもらえると思うのですが、本当に死ぬのではないか?と感じるぐらい苦しいものです。

 

 さらに、この病気でつらい事は、似たような環境に身を置くと、また症状が起こるのではないかという強い不安にさらされることです。私の場合、もう電車に乗るのが怖くて怖くてたまらない、という具合になってしまったわけです。また、人によっては映画館や美容室で発症するという方も少なくないようです。

 

 私は1週間前後、高校を休みました。電車に乗るのが怖かったからです。そしてかかりつけの心療内科で症状をうったえました。「過換気症候群だな。電車乗る前にデパスもう一錠のんで。お守りだと思って」と先生はおっしゃいました。臨床心理士さんは「口に袋をあてて呼吸するといいよ」と言いましたが、これはペーパーバック法といって絶対やってはダメなことだと後でわかりました(命に関わるそうです)。現在わかっている中での発症した場合の処置としては、自分にとって楽な姿勢・環境で放っておくのが良いということを、ある番組でお医者さんが言ってました。

 

 正直言って、精神安定剤を一錠追加したところで、大丈夫だとは思えませんでした。先生のおっしゃるとおり、電車に乗る前にデパスを服用し、満員電車に乗り込むのですが、生きた心地がしませんでした(それでも、飲まないより大分マシだとは思います)。

 

 今思うと、電車に乗る必要のない近場の高校へ転校するのが正解だったと思います。しかし、私は卒業までの間、ただただつらい満員電車で一日約1時間半近く耐え続けたのでした(卒業式は嬉しすぎて逆に涙も出ませんでした・笑)。

 

 私はいまだに満員電車やバスは苦手で、なるべく避けるようにしています。その代わりというか、大学生になるころには、席が向かい合うタイプの車輌ではなく、新幹線タイプの席が独立している車輌には苦手意識をもたないようにと、割と積極的に乗るようにしていました。当時は新幹線内でタバコが吸えたのも大分力になりました。

 

 幸い、高校生以来、本格的にパニック障害の発作が出ることはありませんでした(これはまた症状が起きるのではないか、という前兆のようなことは何度かありました)。パニック障害を発症した場合、大きく分けて、①慣れるためにあえてその環境に身を置くようにする、②そうした環境から逃げる、という二つの道があるのではないかと思います。

 

 逃げるといっても、逃げられない場合もあり、私はたまたま①の方法をとらざるを得ませんでした。現在では発作は起きていないわけですが、②の方法も悪いとは思えません。それほどにパニック障害は辛いものだからです。私が勝手にファッションの師匠だと思っているMB氏もパニック障害経験者であり、大別すると②の方法をとっているようです。今でもたまーーーーーーに発作が起きるのだそうですが、彼がメルマガの中でとても良いことを述べていました。

 

 残念ながら、ここでそのメルマガをコピペすることは出来ません。しかし、要点を言えば、パニック障害の「克服」とは「病気を受け入れること」だということです。MB氏は母親に「病気もあなたの一部なのだから」と言われたことで、「病気になる前の自分が正常」と思うことをやめ、「病気であることが最早自分の一つなんだ」と思うようになったそうです。そうして彼はネガティブをポジティブに変え(美容院に行けないのだから、美容師を家に呼んでやろう。バスや電車が苦手だから車を買えるくらい稼いでやろう。会議が嫌いだから一番えらくなってやろう。など)、実際にそれらを行動にうつしていったのだそうです。

 

 私はこうした話を読み、おおいにうなずきました。物事はとらえ方(認知)次第だと思うのです。たとえば、「ドナルド・トランプ氏が大統領になった」という事象がありますね。これを多くの日本のマスコミのように「とんでないことだ!」と捉えることもできます。しかし、「これは日本にとってチャンスだ!」と捉えることも出来ますし、実際にそういう識者も沢山います。ここで重要なのは、どちらの認識法を選んでも、「トランプ氏が大統領だ」という事象は変わらないということです(まるでコインの表裏のようです)。こういう場面でネガティブな方をとるのか、ポジティブな方をとるのか?というのは、案外病気に対する捉え方にも通じるものがあると思うのです。

 

 現にパニック障害でつらい思いをしている方は、本当に大変だと思います。ですが、いつか「病気になって良かった」とすら捉えられる日が来ることを、私は願っています。病気になって初めてわかる人の気持ちもありますしね。